精神科受診日

 
 朝、起きたのは、6:00前だけれど、目覚めが、とても悪い。また、気分のより戻しかな。

 生きている存在感が無い気がして、消えてしまいたい気分。こうして、ブログを記述しているのだから、行動力があるのだが、どよ~んとしている。感情の大波がまだ、収まっていないみたいだ。

 欝は、行動力が先に回復し、感情が後から回復するというずれがあることは、これまでの様々な文献や体験から、理性では、理解しつくしているんだけど、感情という奴は、厄介で、自分でも、何をしでかすかわからない。

 ブログの中で今服用している睡眠薬は、古いタイプのもので、大量に服用すると、危ない薬であると、トラックバックで教えてくれたというか、余計なお世話の記事を書き込んでくれた人がいて、記事は、消し去ったけれども、頭の中には、当然残っており、普段なら、古い薬は、きちんと捨てていたのだが、ここのところ、本格的な欝で、自閉していて、注意力も落ち、その睡眠薬が、何故か、大量に余っている。恐ろしい。

 幸い、今日は、精神科の受信日である。忘れずに、余った薬を薬局に持って行こう。

 所詮、社会復帰したい思いがあった所で、この長期ブランク。病気をクローズしたら、何処でも雇って暮れやしないし、長時間労働は、もう、こりごりだ。だから、病気をオープンにして、社会復帰しか出来ない訳で、当然のことながら、従前の給与水準の半分以下になる事は明らかであり、QOLの低下は、免れない。

 社会復帰できないかもしれなしなあ。[家内:美子]には、ただただ、アホな「私:高嶺]の巻き添えを強いてしまって来て、申し訳ない気持ちでの中で涙がとめどなく溢れて来る。

 今後、生きていても、食べていくだけで、目一杯だろう。従前のような生活水準は、不可能だ。

 車も所有できなくなる。隣国の韓国などにさえ、海外旅行もできなくなる。登山もスキーも復活できない。有名なオーケストラのコンサートなど、当然行けるはずも無く。最新の電気製品も買えず。楽しい事は、何一つ無いのかなあ。現代の日本に居住している限り、福祉は、先細って行くに違いないし。

 老後に、介護度が高くなっても、高額な料金の施設には入れず、癌などの病気になれば、手術は、おろか、痛み止めの薬を手に入れることも出来ず・・・

 10:00を回る、気分が少し、持ち上がったので、[家内:美子]とに出かける。11:00を回った頃に官庁街にある精神科のクリニックに着いた。「金、月、火とあるところに再開して通い始めた事など」しか、話さなかった「私:高嶺][家内:美子]も「特に変わった事など。」としか話さない。
 
 薬の量が少し減ったのは良かったが、古い薬を薬局に持って行く事を忘れてしまった。

 昼ごはんは、県立博物館の中にある喫茶店で、「クリームみつ豆」を食べた。障害者手帳を見せ、館内を無料で見学し、時間を潰す。やはり、時系列に従い、気分が改善する。でも、本等を購入しても、置き場に困るので、情けない。