5.中学1年

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中学生1年になった。入学式で家の前で撮った写真は、[母]と肩を並べるチビであった(150cm位)。この学年が伸び盛りの最盛期で1年間で13Cm身長が伸びた。背の順が、どんどん後ろになって行く。なんともいえない快感。

 しかし、躁うつ病の萌芽が、声変わりを迎える前に、襲う。1学期、4月、うつ状態が容赦なく襲い始めた。ただこの頃のうつ状態は、3日から5日で終焉を迎える。でも、症状は、絶望感、拒食、完全不眠、寡黙。奇跡的に定期テストには、うつ状態にならずに済んだ。この厄介な奴が、3ヶ月に1度ほど襲うに襲うのだが、[兄]に比べると、期間が短かった性もあり、精神科に受診していない。学校への提出は、風邪とか頭痛とかの嘘の理由。また、運も味方し、定期試験に重ならなかた。入学式の後日に写したクラス写真が、冴えないうつ状態なりかけ。

 躁病?エピソード:生徒会の選挙に1年坊主のくせしてマジで立候補しようと思いましたが、うつ状態がやってきて没。
 (軽躁状態?)「東大なんか目じゃないモスクワ大学に行きたい。」と級友に話す。

 中学生の頃はおぼちゃまっだったからなのか、毎長期休みに何処かへ旅行している。
 始めての夏休みは秩父へ、モグズラ琉球 真っ赤杜煮射 亜荷眼])]通称:サンゴ礁)と秩父へ。
         冬休みは、[天才全部出来雄(てんさいぜんぶできお)]会津蒸気機関車を撮りに。磐越西線。日中線(廃止)。
         春休みは、モグヅラ茨城県めぐり。

 当時の一番の趣味は蒸気機関車撮影、[高短 睦也君(通称:むか)]ともよく撮りに行った。八高線等。

 男女仲良しクラスだった思い出がある。「社会の天才」等と揶揄されたりもした。急に勉強など慣れないことを始めたので、カブトに「お前ガリ勉になったなと。」言われもした。

 この頃の衆議院選挙で、日本共産党が47議席と躍進した。素直に嬉しかった。マルクスの「共産党宣言」等も読んでいる。ませた餓鬼の共産主義者だった。日の丸も君が代経団連も悪の権化だと、天皇制は即廃止したほうがいいと、マジで思っていたのです。小学校2年生から6年生の担任の先生に洗脳されてしまっていたのである。担任の先生は、[家庭科の先生]だったので、直接授業を受けた事は、無いけれども、「家庭科は、男女共修にしたほうがいいと思います。」などと、ホームルームか何かで、生意気にも進言したことを覚えています。

 万国の労働者よ団結せよ!

[兄]が、○○六大学の難関私立高校に入学した性もあり、その高校は、受験勉強などせず、「現代国語」では、小説などを読ませる。ちなみに「政治経済社会」では、政治家や思想家の本を読ませていた。このころから、[私:高嶺]の趣味の中に今まで無かった読書が加わる。その中の一つに「共産党宣言」なるものもあった。

 まだ、恋愛の事など良くわからなかったはずだけど、ゲーテの「若きウェルテルの悩み」等、を読んで感動した事も鮮明に覚えています。